川上村(かわかみむら)は、かつて岐阜県池田郡にあった村である。現在の揖斐郡揖斐川町坂内川上に該当する。揖斐川支流の坂内川の最上流に位置する。
古くから滋賀県(近江国)とは八草峠を介して交流が深く、商業、文化、方言などで近江国の影響が大きい。
概要
村名は、この地が揖斐川の上流だったことによる。枝郷に八草があったが、1694年(元禄6年)に分村した。人家は2つに分かれ、本村の集落は大きく、八草は小集落で本村の西南1里余に位置した。
1872年(明治5年)に八草村を合併し、1875年(明治8年)6月に門入村を編入したが、1884年(明治17年)7月5日に門入村を分離した。
1645年(正保2年)の『正保郷帳』では石高は51石8斗2升2合。『元禄高帳』では外に枝郷八草村の石高として19石9斗5升7合を記載した。『旧高旧領取調帳』も1868年(明治元年)時点の石高は51石8斗2升2合とする。『明治六年調高』では77石8斗7升1合、段別田2町7段5畝27歩(約2.7ha)・畑6町8段26歩(約6.7ha)・屋敷9反6畝13歩(約9.5a)、外に試起田12町1段4畝1歩(約12ha)・畑1町1段1畝20歩(約1.1ha)があった。
1897年(明治30年)4月1日の揖斐郡設置時に、広瀬村、坂本村と廃置分合(合併)して揖斐郡坂内村の一部となり、同村の大字となる。
歴史
- 江戸時代 - 大垣藩領で石高は51石8斗2升2合。
- 1871年8月29日(明治4年7月14日) - 廃藩置県により、大垣県に所属する。
- 1872年1月2日(明治4年11月22日) - 第1次府県統合に伴い、岐阜県に所属する。
- 1872年(明治5年)
- 不詳 - 川上村と八草村が合併して川上村となる。
- 9月 - 大区小区制により美濃国を175区に分割。川上村は75区に属する。
- 1873年(明治6年)4月 - 岐阜県内管内区画を改正して12大区175小区に分割。旧75区は第6大区6小区に属する。
- 1875年(明治8年)6月 - 門入村を編入する。
- 1879年(明治12年)2月18日 - 郡区町村編制法(明治11年7月22日太政官布告第17号)施行に伴い大区小区制を廃止し、当村は大野池田郡役所(郡役所・大野郡三輪村)の管掌下となる。
- 1884年(明治17年)7月5日 - 川上村が門入村と川上村に分裂する。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制(明治44年4月7日法律第69号)施行により、自治体としての川上村が発足。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 池田郡広瀬村、坂本村及び川上村が合併して坂内村が発足。同日、川上村廃止。同日、池田郡が大野郡の一部と合併して揖斐郡となる。
教育
- 訓迪義校(後の坂内村立坂内小学校川上分校。1982年(昭和57年)に冬期のみの分校になり、1991年(平成3年)廃校)
脚注
参考文献
- 梶原猪之松 編『岐阜県令達全書. 明治元年−20年』啓文社、1897年6月20日。doi:10.11501/788374。https://dl.ndl.go.jp/pid/788374/1/148。
- 梶原猪之松 編『岐阜県令達全書. 明治21年−28年』啓文社、1897年6月20日、891頁。doi:10.11501/788377。https://dl.ndl.go.jp/pid/788377/1/76。
- 『岐阜県令達全書. 明治30年』岐阜県知事官房、1898年10月18日、167-178頁。doi:10.11501/788378。https://dl.ndl.go.jp/pid/788378/1/101。
- 岐阜県揖斐郡教育会 編『揖斐郡志』揖斐郡教育会、1924年12月31日。doi:10.11501/1019725。
- 『岐阜県町村合併史』岐阜県総務部地方課、1961年11月1日。doi:10.11501/3022328。
- 地名情報資料室 編『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年9月20日。doi:10.11501/12760487。ISBN 4-490-10280-1。
- 岐阜県市町村合併等経過一覧表 - ウェイバックマシン(2014年8月8日アーカイブ分)、岐阜県地域計画局市町村室、60頁
関連項目
- 岐阜県の廃止市町村一覧
- 川上村 (曖昧さ回避)




