関島 良基(せきじま りょうき、宝暦9年(1759年) - 天保4年5月25日(1833年7月12日))は江戸時代の信濃国の医師、手習師匠。幼名は長二郎、字は良輔、号は百華園。

生涯

宝暦9年(1759年)信濃国伊那郡下川路村庄屋大上関島家に生まれた。十数歳で大瀬木村寒山禅師に句読を学んだ。医者だった伯父榎本宗琳、舅佐々木玄仲の影響で、18歳で村医常盤某に従い、安永元年(1772年)京都で鎌田玄琳に古方派医学を学んだ。安永2年(1773年)父が眼病に罹ったため帰郷し、医業を開始した。

天明3年(1783年)村民の要望で自宅に寺子屋を開き、8.9歳から16,7歳までの生徒に読み書きを教えたほか、旗本小笠原家侍講として伊豆木陣屋にも出入りした。

分家した屋敷の庭には花卉に加え、薬の製作、研究のため薬草を植え、百華園と号した。天明の大飢饉の被害が村にも及ぶと、救荒作物として甘藷の栽培を試み、文化元年(1804年)試作に成功すると、老農園蔵に分け与えて栽培、普及させ、村の名産とした。

文政10年(1827年)良致を養子に取って医学を学ばせ、天保4年(1833年)5月25日死去した。法名は百華園興道良基居士。

著書

  • 『百華園漫筆』
  • 『杜鵑集』
  • 『長生成功論』

家族

  • 8世祖:関島八郎兵衛尉種基 - 松尾城主小笠原信貴に仕え、下川路村に住んだ。
  • 7世祖:関島善左衛門道秀 - 小笠原家の本庄藩転封に従わずに村に留まり、後剃髪した。
  • 父:関島善左衛門種模
  • 母:佐々木氏
  • 兄:関島新右衛門種孚 - 大上家を継いだ。
  • 妻:久保田氏
  • 養子:関島良致 - 文政10年(1827年)縁組。百華園を継いだ。

脚注

参考文献

  • 青木歳幸「幕末維新期の在村蘭方医関島良致の軌跡」『国立歴史民俗博物館研究報告』第116巻、国立歴史民俗博物館、2004年2月。 

関 良樹 東北芸術工科大学

関島秀樹オフィシャルサイト 生きたらよか

正門良規、小島健 「関西の皆さん見てくれましたか? 」 ISLAND TV

関良とは【かんりょう】2010年06月11日 更新 意味・解説 : 考古用語辞典 ArcheologyWords

学院創立者 学校法人 静岡英和学院